という問いに対して、理由をいくつも上げることは難しい事ではありません。
しかし、別に環境が、私がアカデミアにいた8年間で変わったわけではありません。
こういった人生の分岐点に立ち、決断する時、私はマイケル・ガザニカという科学者が出した「〈わたし〉はどこにあるのか」という本を思い出します。
私は彼の「意識とは解釈することである」というインタープリター(解説者)仮説がとても気に入っています。
ざっくり言えば、人間というのは無意識のうちに決めた事、起きた事に後で勝手に意味を解釈をする生き物だという事です。
基礎研究を通じて成し遂げたい事を育てられなかった
まず一番の理由がコレだと思います。
「そもそも何がやりたかったんだろうか?」
この問いは、博士課程の後半とアメリカでポスドクをしている間に、時間が空けば頭に浮かんでくる問いでした。
振り返ってみると、私が研究を始めたきっかけは、神経疾患に興味を持ったことでした。当時の動機は、脳神経科学が面白そう、治療法について研究するのが楽しそうだ!というピュアなものだったと思います。
はじめは、疾患をテーマに研究をしていましたが、気づかないうちに目標が「より深く知りたい、より最先端の研究をしたい、一流の人たちと仕事がしたい」という方向へシフトして行った気がします。
そして、博士課程、ポスドクと、当初の「神経疾患」からどんどん基礎寄りの研究にシフトしていきました。
同時に、当初の疾患の治療に役立ちたいという気持ちより、自己研鑽のための研究に変わっていった気がします。
自分の心の内に気づいていたのかいないのか、競争心だけは一人前にあったので、アメリカの研究所でポスドクをするまで至りましたが、ここ数年間自分の研究テーマを見つめた時に、「これを世に出すことが、自分のやりたかった事なのだろうか?」と思うようになりました。
この研究を、例えば5~6年かけてビッグジャーナルに出して、誰かに読んでもらった時、果たして自分は満足するだろうか?自分がこれから過ごす年月と努力は果たして自分の努力の成果を届けたい人たちに届くのだろうか?
そして何より、自分日々行う研究に喜びを感じられているのだろうか?という疑問が少しずつ生まれてきていました。
きっと、同じような疑問をもっていても、突っ走ることのできる人はいると思います。
しかし、なぜか今回はどうしても「それでもまだまだいける!続けよう!」と思えなくなったのです。
アメリカのポスドクの給料では家族を養えない
アメリカのポスドクの給与水準は、国際的な基準で考えると悪くないと思います。
一方で、日本と同じようにアメリカでもポスドクの給与で家族を養うというのは困難です。アメリカでのポスドク生活では実家からの援助がないと生活ができない状態でした。
留学なんていうチャンスは滅多にないし、助けてもらってでも長くいた方が良いのでは?という意見も何度かいただきました。
もっともなアドバイスだと思います。
しかし、私はあまりそうは考えられないタイプでした。
博士課程を5年間努力して、しかも競争的な助成金をもらっても自立できない。
この厳しい現実により、「ここまで努力しても、科学が評価されても、最低限のレベルの生活すら得られないのか」という挫折感に似たようなものが常に頭の何割かを支配している気がしました。
どこに行っても、値段が気になって楽しめない。いくら節約しても、お金が無くなっていく。子供はもう幼稚園に行ってもいい歳なのに、保育料が高すぎて週に2日しか行かせてやれない。
このままお金のやりくりに過度なストレスがかかる状態でこの先4~5年生活して、本当に仕事に集中できるのだろうか?自分なりの価値を見出せなくなってきていました。
研究者をやめることを決断した夜
自分の中の決断が確固たるものだと、自分でも理解できていました。
決断をした日の夜、妻に伝えて、実家にも報告しました。父は少し残念がっていましたが、妻は安心した様子でした。
その日の夜中、急に目が覚めました、子供は隣でいつものようにスヤスヤ寝ています。
自分にもこんな、親に守られて安心しきった顔で寝てた時があったんだろうな~、なんて考えていました。
青暗い天井を見つめていると、なぜか一番最初にお世話になった、教授の顔が浮かびました。
「そうかぁ~タヌキ君、もったいないなぁ~、せっかくそこまで登りつめたのにねぇ~」
もう既に先生のもとを巣立ってから7年は経ちますが、白髪混じりの先生の顔と声が聞こえてくるようです。
「きっと先生も聞いたら残念に思うだろうな...。」
当たり前のようにやっていた研究。やめると決心することは、頭で理解していても、心の奥では何かがうずいているのを感じます。
無理もないです、卒業研究の頃から合わせれば9年間私は研究をしてきたわけです。
幸い様々な経済支援を受けることができました。驚かれるかもしれませんが、博士課程の間に2人の子供を授かり、それでも何とか生活できていました。
そして目標にしていた海外の一流の人たちと仕事がしたい、という夢を叶えることができました。
充実しているように聞こえますが、同時に「研究を通じて成し遂げたい事」については、上手に育てることができなかったように思います。
そして何より、自分自身を最も厳しい環境に身を置いて、研究を本当に続けたいのかをテストしていたのだと思います。
答えはNOでした。
そのことに気づいてからは、時間をかけて、「研究者やめよう」という決断が無意識に形成されてたのだと思います。
それがある日、急に自分の中に湧いてきたのです。
「ああ、自分はもう研究者として終わったんだな...。」
研究所から、針葉樹の並木道を自転車で帰る時に、心の内から沸き上がった言葉でした。
研究者をやめることは、やはり少し寂しい
私は、純粋に研究者をやめることは寂しいと思います。少しの敗北感があることも確かです。
まず、人との別れが寂しくあります、研究チームのメンバーとの別れ、今まで苦難を共にしてきた人と、違う道を歩むことへの寂しさ。
そういったものは、当然ながらあります。
ブラックなラボで周囲が大嫌いになってから辞めるわけではありませんから。自分でも、変な奴だな、と思います。
また、過去の自分へ別れを告げる寂しさです。今まで過ごしてきた研究者としての時間、自ら心血を注いで来た研究との別れ。
今までは「自分は、周りと比べて、少ししか業績がないなぁ」と思っていたのに、
いざ、研究者をやめるとなった今、履歴書をまとめている時に、自分の今までの論文のタイトルを見ていると、「あぁ...中々良い研究をして来たな...。」と思うので不思議です。笑
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住んでいた近くのグライダーポート、いつも夕焼けがきれいでした |
それでも何か違うことを始めたくなった!
センチメンタルなことばかり書き連ねていると心配されるかもしれませんが、研究者をやめるという決断は、同時に次に挑戦する事を選ぶことができるという前向きな面もあります。
研究者をやめるという決断をした翌日の朝は、空気が軽く感じました。
常に心の奥にあった、「いつかは任期無しのポジションを見つけなきゃ」とか「このポスドクでCNSかその姉妹紙に出さなければいけない」といったプレッシャーから解放され、今まで感じたことのない肩の力の抜ける感覚がありました。
通りすがりのものです。海外留学の給付金まとめを読んだあとに、ふと目についたこちらの記事を読ませていただきました。研究を通じて何を成し遂げたいのか、とても大事な問いをいただきました。ありがとうございます。
返信削除私は学部と大学院のあと同じテーマ・同じ研究室で2年ポスドクとして所属し、8年続けた研究に見切りをつけ、現職にきました。現職は研究も行いますが、検査も担当するポジションです。大学のように研究に全振りすることはできませんが(大学も全振りできるか今や怪しいですが…)、安定はしています。前の研究室で疲れ切った後に、選んだ職場でした。この記事を読んでいて、以前にたぬき様と同じ感情や気持ちに浸ったことを思い出し、思わずこのようにコメントを書きました。私の場合はそこまで区切りをつけられず、自分にとって研究とは何かまあ悩んでみよう、考え続けてみようと思い、今の職についています。
私が言うのも変だとは思いますが、大変お疲れ様でした。今後も企業等でご活躍されることと思います。新たな環境や生活で新しい発見も多くなりますね。
今後もこちらのブログ、楽しみにさせていただきます。
コメントありがとうございます。この記事は多くの方に反響をいただきました。研究が好きだけど、今のシステムでは研究を続けることが出来ないと判断する人は決して少なくないのだと感じています。生き残った人のストーリーは語り継がれますが、去った人の物語は語られないものです。そんな中で少し勇気を出して書いたこの記録に共感していただけたのはうれしい限りです。
削除Unaさんもこれから研究との付き合い方について色々と考えられるのだと思いますが、お互い何か腹落ちする答えや次の目標を見つけられるといいですね。
今は環境が変わっている真っ最中で、中々記事の更新が出来ていませんが、今後ともブログをよろしくおねがいします。