仮説検証型の研究ばかりもてはやされるけどそれでいいのか?


みなさんこんにちは。

先日のデータねつ造事件のニュースに驚いた方も多いのではないでしょうか?STAP細胞の事件から間もないまま、皮肉にもこのようなスキャンダルがまた生物学の研究業界を悪い意味で宣伝してしまうことになりました。


ねつ造が行われる背景には想像もできないことが多くあるでしょう。ただこのような結果を倫理観が足りないなどのように個人の責任に帰属させては業界全体の改善にもつながらないような気がします。

権威のある研究機関ではビッグジャーナルに投稿するプレッシャーがあることは確かですし、研究者自身がインパクトファクター高い雑誌に掲載されるようなわかりやすい指標で評価されなければ、キャリアを築くことが難しいことが背景にあるのかもしれません。

全てではないですが、そのような雑誌に掲載されるには相当な努力に加えメッセージ性の高い論文が好まれる傾向にあります。生物学研究においてメッセージ性の高い論文は仮説検証型の実験であることが多々見受けられます。仮説検証型研究ではアイディアを明確に示すことが出来るからです、つまりメッセージ性が強くなります。



仮説検証型研究の特徴としては以下のようなものが挙げられると思います
  • 明らかにしたいアイディアが明確
  • 主軸となるメッセージが強い(インパクトが強い)
  • 仮説に合わせて実験デザインを組む
  • が、仮説にそぐわないデータが出てくると方針を考えなければいけない



一方仮説生成型の特徴は
  • 伝えたいメッセージは後から生まれる
  • 主軸となるメッセージ性は若干薄まる
  • 全体を見渡せる実験デザインを組むのが難しい
  • データ量は多くなるが、当初デザインした状態でデータを見せることができる

私は最近、倉本圭造さんの「21世紀の薩長同盟を結べ」という本を読んで知ったのですが、日本人は実際の物理的な現象との親和性が強く、あまり現実から離れた抽象的な思考を得意としないそうです。得意でないというと語弊があるかもしれませんが、おそらく抽象的に考える癖があまりないということかもしれません。

私の専門は脳科学ですが、確かに新しい”コンセプト”を生み出すということについて、日本の方が活躍している印象は薄いように思います。もちろん素晴らしい活躍をされている先生たちはいるのですが、いい意味で、日本発の研究はアイディアへの解釈バイアスが低いように思います。分野によるかもしれませんが、事実を陳述する論文が多い印象です。

倉本さんの説に基づけば、もしかしたらそれは、実験データからの乖離、つまり、物理的な現象との親和性からの乖離を嫌う傾向があるからかもしれません。

そう考えると、もしかしたら、日本の研究は無理に仮説検証を良しとする方向へと持っていくのではなく、なるべく効率の良い、仮説生成型の研究を確立する方が国際競争力を維持するためにはいいのかもしれません。



また一見単にアプローチの違いですが、研究者の精神状態は大きく異なるでしょう。その違いを表した南光 一樹さんの一文があったので紹介します。



この中で仮説検証型おいて、一番楽しいのは,計画を立てているとき.”という記述があります。


私の研究テーマはゴリゴリの「仮説検証型」で、本当に仮説を立てている時は楽しかったです。しかし、ひとたび実験を始めればその仮説が重くのしかかります。仮説を証明することに重点を置きすぎると実験作業はただの労働になってしまいます。実験に多くの時間を割く生物系研究において一番楽しいのが「計画を立てている時」というのはあまりにも悲しすぎると思います。

加えて、仮説にそぐわないデータを得た時OR仮説を支持するデータが得られない状態というのは、実験を始めたそもそもの原動力を揺るがすため、タフな精神が必要です。自分の思い描いていた仮説通りに結果が出ないことに向き合えなければ、巡り巡ってデータの改ざんにつながるのかもしれません。


仮説検証でスタートした研究が仮説に重点を置くことは当然ですが、健康な精神で楽しんで実験をするには、探索的なマインドを持つことが良いのではないでしょうか?近年ノーベル賞を受賞した大村博士が発見したイベルメクチンはゴルフ場で発見されたというのは有名な話です。仮説検証だけでは良い科学が生まれないのも事実です。仮説検証型研究のスタイルが合わない場合は、探索的研究を行える実験テーマを選ぶのも一つの選択肢なのかもしれませんね。


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